尺八製作の話
福 島 里 志
私が尺八を始めたのは、終戦後岡大邦楽部に入部した昭和二十一年だから、もう五十数年になる。途中外科教室に入局したため、一年か一年半位、多忙の為、休止した他はズゥーと続けている。お陰様で柔道の段と同様に、古きがゆえに都山流竹淋軒大師範の最高職格を戴いている。今から三十年程前に門人三人と尺八を作ってみようと云う事になり、自分の尺八を唯一の手本として製作し、竹杙は共同で採取し、製管は情報を交換せず、完成した時の出来具合を楽しもうと約束した。当時尺八製作に関する書籍等は皆無で、暗中模索の出発であった。先づ竹取りである。昔から竹は八月に採ると虫が入らず時期としては最良と云われているので、それを信じ、お盆過ぎに知人の伝手で由伽登山道の長谷の竹薮へ土産を持参して出かけた。
夏の竹薮は風がなく蒸し暑きこと此の上なしで、おまけに小生の最も嫌いな蛇がウジャウジャと居て尚且つ薮蚊の大軍に襲われとても竹等取れたものではない。それでも泣き乍ら四本だけ取って帰った。竹は眞竹が不偏的で時に淡竹(はちく)を使う事があるそうだが、私は未だ見た事はない。孟宗竹と眞竹の薮は外から見てもわかるので旅行の時等車窓より見て楽しんだものである。竹は生後五、六年経ったもので竹薮の外側で太陽光のよく当たったものがよく、節間隔の長さ、太さ等々併せ計算し使いものになるのは二百本中一本位のものである。
次回は蛇の居ない十一月に来る事として、その間に「根ブチ」を切る柄の長い鉄の斧を鍛冶屋に注文して作ってもらった。鍬、スコップ、手斧、竹切り鋸等を持参し、ゴム長靴、ゴム手袋の完全武装で出かけた。竹は採取して三、四年乾燥させ使用するのであるが、若竹程よく収縮する。製管であるが、外観はマアマア出来たが、穴あけ、調律には弱った。穴あけであるが大工さんの使用する道具を使ったが、速く廻しても遅く廻しても、表皮の竹がビリビリッとヒビが入り使いものにならない。あける前にビニールや和紙などを貼って試みたが、全て駄目。錐の刃縁が鋭角すぎるのに気付き、目立てヤスリを自分で加工して作ったがその中の一つが正解であった。次に内径の測定であるが、金属加工に使う「ノギス」で測ったが、精細な事は測れなかった。考えあぐんだ末、レントゲン検査でなんとかならないかと思い、先づ胃透視用のバリュームを尺八の管内につめて撮ったが、バリュームが流れ出て駄目、バリュームをメリケン粉と混ぜて硬くして使うと十分充 出来ず、且つ空洞が出来て使いものにならない。肺のカベルネでもレントゲンで解るのだから、バリュームを使わず、そのまま撮ったらと発想を変えてやったらと気付き、撮影距離を一番高くし、前後左右と色々露出をかえてとった所、何十枚目にやっと成功した。製管の時に埋めた所も中継ぎの様子、本漆か「カシュー」漆かも判断出来、大成功でした。次に管内を削って調律するのであるが、これが最大難事である。一つの音は出るが他の音が出ない。やっと出ても音のバランスがとれない。ひと鑢かけ過ぎると、今迄出ていた音が全て出なくなった事もあったりしてプロの偉大さがよく解った。歌口は普通水牛の角を加工して使ってあるが、仲々見当たらない。次に象牙を探したが煙草のパイプでは小さく、三味線の撥(バチ)は高価で手が出ず、考えたあげく使わなくなった憧球の丸い象牙の球を入手して使った。又自動車のバッテリーの黒い外枠も使ったがこれはよいと思う。
約三ヶ月後出来上がった尺八を持ち寄り、吹き競べをしたところ何れも七十〜八十%の出来であったが唯々感激であった。あと二、三十本作ったが新人の練習管としたり親戚の子供に与えた。其の后愛媛県のプロの製管士と懇意となり色々話を承ったが、吾々のやった方法は大筋でプロの行っているのと同一であった。
レントゲンで撮影した事は本邦初であろうと驚いて居られた。唯プロは内径も測らず全て勘で作るそうだ。一本一本音色の違うわけである。何事も一生懸命やると大体同じ所に到る事が解った。今でも自分で作った快心の一管は大切に保管し、あの世に持って行こうと思っている。
