カルテ開示の法制化
児島医師会副会長 三宅八郎
厚生省の「カルテ等の診療情報の活用に関する検討会」(森島昭夫上智大学法学部教授)は 「患者から求められれば、医療従事者はカルテなどの診療記録を提供しなければならないことを法に明記する」という報告書素案を提示した。
これに対して医療担当委員は、「法制化が先行すると現場は混乱する。環境整備の先行が必要である。」と難色を示し、さらに審議が継続中である。カルテ開示を積極的に進めている埼玉県立がんセンターや名古屋の医療生協「府立総合病院」などでは、カルテ開示により、「医師と患者の信頼関係が生まれ、治療効果を上げることが出来た。」と述べている。しかし、そのためには患者が理解できるように外国語や略語を排し、ほぼ全文を日本語で書く必要があり、相当の時間と労力を要したはずであろう。
そのように余裕のある病院は別として、火事場騒ぎのような大多数の医療現場では、迅速な診療行為が優先され、カルテには走り書きのメモ程度にしか書けないのが実状である。それが、審査や訴訟の時の不利になることも医療関係者は重々承知である。そうしないことには現場の医療に支障が生じ、ひいてはそのつけが患者に行くのが明白である。
もともと医療は、患者が医療機関を自由に選択するフリーアクセスである。したがって、そこには多少の不足や不満があっても、医師の説明にどうしても納得せずカルテの開示を迫るような不信感の強い患者は、マスコミが騒ぐ程多くないはずである。せいぜい、
1,000人に1人居ればいい方だろう。一方、患者にカルテ等を見せても、多くの検査や所見等が解釈出来るあろうか。
私達でさえ、大病院や他の病医院のカルテの記録や検査のデータを見せつけられても分からないことが多い。カルテを見るよりも、主治医や専門医から要点の説明や文書を貰う方が余程理解し易い。患者は尚更であろう。医師が口答や文書で説明する方が患者にとってより親切ではなかろうか。
近年、日常の診療の中でインフォームド・コンセントが重視され、医師は出来る限り患者と十分話し合うことが要求されている。まだまだ十分とは言えないが、さらにこれを徹底することの方がカルテ開示より患者さんにとって有益であろう。
ただ、訴訟は別として、カルテ開示を迫る不信感の強い患者や家族に対しては、これはこれで区別して検討すればよい。
現在、法律的には民法第
645条の[受任者の報告義務]により、受任者たる医療担当者は、委任者たる患者に報告義務があることが規定されている。そこで、その人たちの要望に応えるために、新たな法で全体を縛るよりも、従来の法の柔軟な運用を検討すればよいのではないか。その際、カルテは医療者の記録であり、診療や医療計画を立てるための貴重な資料で、言わば市役所の住民台帳のようなもので、私達はカルテそのものをおいそれと提供する訳にはいかない。カルテのコピーか、それに代る文書なら応じられる。色々論議はあろうが、カルテは患者の為のものであっても患者のものではない。国のものでもないはずである。あくまでも、所有者たる医師の同意を得て開示されるべきではないだろうか。「カルテ等の診療情報の活用に関する検討会」は、法制化して一律にカルテ開示を医師に義務づけることを大変急いでいるようである。しかし、少数の特殊な人達の要望のために、大多数の患者の医療に不利益をもたらしてはならない。むしろ、多くの国民が受けている医療が円滑に、効率的に行われるように配慮し、これを推進することの方がより重要ではなかろうか。
医療の圧縮や規制に躍起の厚生省出身者、医療の不審をことさら煽るマスコミ関係者、自分達以外は法で国民を縛ることに熱心な法律家が「検討会」の大部分を占め、彼等は「法制化を先にすれば医師も患者も分かる様なカルテを書くだろう。」と悪人でも取り蹄まるように、一律に法で縛って有無を言わせないようにするような強引な意見が支配的であり、日医の医療担当委員が孤軍奮闘しているが、カルテ等の診療記録の開示の流れは避け難い。
これからは、患者からカルテを出せと云われて、“一寸待て”と云おうものなら、医者は法律違反を犯したことになりかねない。それだからと言って、カルテをもって行かれても困る。
ちなみに、民法第
645条は、医者だけが遵守すべき条項ではない。「医療保険審査」も保険医を委任者、審査機関を受任者として、審査の開示を迫ればどうなるであろうか。検察や司法の場でも調書等の開示を義務化したらどうなるであろうか。マスコミも総てのニュースソース等の開示を法的に規定されたら困るであろう。さらに、とかく問題の多い行政外郭団体や、官庁の食糧費や交際費の全面的開示は遅々として進んでないではないか。なぜか、カルテの開示だけが「鬼退治」のように、マスコミや厚生省のみならず大蔵省なども応援して官庁一体となってこれを爆走させている。
私達も医療現場の実態について、もっと大きな声で説明し、多くの国民が受けている医療の悪影響を及ぼす「カルテ開示の法制化」には反対しなければならない。