現代世相寸描
村 山 正 則

◎理髪店で待つ間、そこに置かれた派手な雑誌を開いてみた。男子専科 ――男のオシャレ、体臭対策、脱毛法、奇抜な衣装…。
 世の中生ぬるい平和が続くと男の身だしなみもこうも変化するのか。今を昔と比較するのは無意味…と笑われるだろうが、ひと昔前の青年は大人びて見せるため、バンカラを装った。今はどうも「可愛らしさ」が男女の別なく一種の栄誉であるらしい。
――そういえば、これに類する若い男たちがかつて外来を訪れていたのを思い起す。腋の下、下腿の毛を除去してくれ、目には見えないような頬の毛を取ってくれ…。体毛が濃いのは男らしさの象徴ではないか。体中の毛を毛嫌いしてツルツルになりたいなら、「ユデ卵にでもなれ!」と一喝したくなるではないか。

 女性、また而り。かつての「女らしさ」はどこに消えたのか。春先のある日、最近流行のガングロ姉ちゃんが二人連れでやってきた。小学生の頃、母親とよく来院していた可戀な女の子であった。いきなり、「耳に穴をあけてくれ」…と言うのである。あの新鮮だった少女も、当世の風に当たるとかくも変化するのか。
”――医者のすることじゃない!“と説諭してお引き取り願った。――「身体髪膚、これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」――と説教してやろうと思ったが、金髪やショートスカートを見ていると…、ヤメタ、ヤメタ。油紙に水をかけるようなものだ。

◎街で見かける若い男女の服装、言動のだらしなさ、行儀の悪さは昨日今日に始まったことではない。年毎にひどくなっている。色彩とか流行というものは、ある期間を過ぎると、又もとの姿に戻るものだが、現今のだらしないファッションとやらは益々磨きがかかる一方である。不甲斐ないファッション企業家は、良識よりも非常識に同調してか、金儲けに余念がない。ダブ  のズボン、ヨレのシャツ。「こ汚い」という表現にふさわしい。シャツをどういうわけかズボンの中に入れないで半分出して人中を歩く。まるでトイレに坐っている時に地震にあって、あわてて飛び出してきた姿…といった表現がよく似合う。

 どうも最近の男は漢字の「男」が少なくなった。細字のカタカナの「オトコ」になり下っている。いつの時代でも変化に順應するのが早いのは若者であるが、――「めいわく」とは言わないが、この「見苦しさ」を何とか出来ないのか。

◎かつての日本には「貧」があるから「品」があったと言える。財産、貧富、学歴の問題ではない。人間評価の上でかつては「人品骨柄」「品格」が社会人として大切なポイントであった筈だが…。こんな文句も死語になったか。  男らしさ、女らしさ ――こういう表現が消えた。男女同権の時代はこんな表現は不必要なのか。時代錯誤と笑われるだろうが、「らしさ」とは、その立場にふさわしい態度、誇り、言動ではないのか。政治家、教師、医者、学生、企業家、職人、父親、母親、男、女、――らしさ。「らしさ」を思わす人は、何となく安心出来る。

◎ところで、外来で交わされる問診時の言葉の変化もそうだ。いい年をした若者がまともな会話、應答の出来ないのが増えた。日常生活の中の会話、しゃべり言葉、やりとり語が消えた。情報化時代の今日、言葉が豊富になったといわれるが、新造語、外来語の氾濫は国籍不明の文法無視の言葉ではないか。カタカナ語の流行も、それを日本語として適当語に翻訳するヒマもない早さで、そのまま使われながら蔓延しているように思えてならない。

◎常識が不安定になって自信を失い、非常識の方に価値が置かれる社会。――
 こんなことを社会の片隅で申し上げても、あちらからこちらを見れば、まだ、そんな古いことを言うのが残っているのか…と笑われるかも知れないが。――

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