平成十年もすでに半分以上の月日が過ぎた。
「もう八月」 「まだ八月」 ・・・・物理的には同じ時間の経過でも、 「もう」 と 「まだ」 と受けとる感じ方はさまざまであろう。
イヤな仕事や会合の中にいると、 時計の進み方はおそい。
楽しい時間はアッという間に過ぎるものだ。
「人間は齢を取るにつれて、 一日が長く一年が短く感ずるようになる」 ・・・・と若い頃は年輩の人からよくきかされたものである。
それが感覚的に納得出来るようになる年令が 「還暦」 前後であろう。フランスの哲学者P・ジャネは、
「六十代で感じる一年は、 二十代の三倍の早さで過ぎてゆく」−−−といっているがうなずけるものがある。
「時間がたつのが早い−−−と思うのは、 人生というものが判ってきたからだ。」− −− と、 ギッシングは書いているが、
そんなしゃれたことの言えるほど人生が判ってきたとも思えないのだが・・・。
ところで、 一日の中で最も時間が早く経つのは晝さがりといわれるが、 一生というものを一日に当てはめて考えてみると、
生活や仕事の中で、 慣れと惰性が生じて新鮮味がうすれてくると、 時間の経過が早くなると思える。
それなら、 それの対応策は何かないのか。 常に新鮮で物事に好奇心をもって過ごす方法があるのじゃないか。
生活や仕事に何か変化つけてみる。−−−休息もまた、 生活のアクセントではあろう。
現代人は、 意識するしないに拘らず、 とかく時間にもてあそばれているように思える。
ある時計メーカーが、 日常生活の中で 「待つ」 ということに耐えられる時間感覚の調査をした面白い報告がある。
遅れた電車を十分待たされると50%の人がイライラしてくる。 十五分おくれると、 80%。
エレベーターや信号待ちでは、 三十秒で50%の人がソワソワする。
同様にデパート、 スーパーなどのレジの前では、 一分間が忍耐の限界だそうだ。大病院の診療では、
三時間待つのは覚悟の上だそうだが、 開業医の所では三分待たされても文句が出るご時世である。
現代人は時間との競争を強いられている、 とも言えるのじゃないか。
歩行速度と会話速度とは相関し、 その何れもが文明化に応じてスピードアップしてくる。」 −−−二十世紀の始めにフランスの社会心理学者の 「タルド」 が、 そんな仮説を発表しているが、 日常会話一つをとりあげてみても、 意味不明の略語、 早口等、 社会文明発展のスピード化に同調されているようである。 落ちつきのない生活テンポが、 社会のあちこちで見られる。
余談ではあるが、 若い男女か待ち合わせする時、 お互いに待たされる時間のガマンの限界は男は一時間半、 女は一時間。 こういう男女がケンカをした場合、 頭をさげてあやまるのは、男性が30%、女性は10%だそうだ。 −−−父権衰退の原点をみるようではないか。
考えてみれば 「時間」というものの中には人間の喜怒哀楽、 やさしさ、 温もりといった人生のかけがえのないものが一杯つまっているはずである。 時代に逆らうようだが、 生物の法則からはずれた今日の人間生活のテンポを、 もっとゆとりのあるものに出来ないものか。 音楽の表現で言うならば、 現代は 「アレグロ」 (急速調) のテンポだ。 「アンダンテ」 (緩徐調) という楽章テンポもある。 人間のテンポはこうありたいものだ。 「アンダンテ」 とは、 イタリア語で 「歩く」 という意味である、 ときいている。