”診療余話” その二    
”診 療 余 話”その二
村 山 正 則 


◎ 「往診なき往診料」

 深夜十二時前、 読書にも疲れてそろそろ寝ようとして書斎を出たところへ、 電話のベル。
「祖父が気分が悪い、 胸が苦しい…と苦しんでいます。 往診して頂けませんか」……
 八十才の老爺、 心発作か、 専門医に と言ったが、 どうしても先生に!との御指名。 若い女性の声である。
 ありがたいやら、 迷惑やらの複雑な気持ちで往診の準備に取りかかり、 タクシーを呼んで出かけようとするところへ、 再び電話。
「さき程、 近所の人が救急車の手配をして下さり、 倉敷の病院へ向かいました。 往診は結構ですから」 …
 内心、 ホッとして寝についた。
−−翌日、 一人の年配の婦人が外来を訪れた。 「昨夜はお騒がせして申しわけございませんでした。 往診料のお支払いに…」 と言う。 「往診はしなかったんだから…」 と言うと、
「それでも、 往診の御準備をなさったでしょう」 という。 そこで私は心電図や薬物など、 救急用の準備をしたことを告げると、 「お支度にかかった費用と、 お車代を…」 と言われる。
 タクシーは帰ってもらったから、 基本料金はともかく、 準備に要した費用といわれても −−そんなものはこの国では頂いておりません…と医師の使命を説明して納得して頂いた。

−−ところで、 その婦人の話によると、 「三十年前、 私の末娘が小学一年生の時、 先生に急性腹膜炎の手術をして頂き、 私も術後附添っておりました。 今はその娘に二人の孫も出来まして」 …と古い話をきかされた。 「あ、 あの時附添っておられたのが、 あなた…」

 お互い三十年の齢を重ね、 当時のことを覚えていて下さったとは−-。
 夫人の主人 (昨夜の患者) は倉敷の病院に収容され、 小康を得ている。−−と肝腎な話を最後にされて帰ってゆかれた。
医師というものは、患者の家族の人生の物語の中に身を置いている・・・と思ったことである。
 ところで、 −−このように行き届いたことを言ってくれる人は、 この国にはそうあるものではない。 むしろ知らぬ顔が殆んどであろう。
各種保険制度は発達しているが、 かかる場面の規定があるのかどうか。
多くは医師の犠牲で処理されている。 医師に多くの犠牲が伴うのは当然だが、 こうした行為を世間では知らずにいる…というよりも、 当然のことと思い、 思われていることであろう。

◎ 「 蚊 」

 腕をまくり、 駆血帯をした腕を伸ばして、 顔をそむけ、 目をつむって静脈注射を待っている注射の大きらいなばあさんが看護婦さんに言った。
「アンタ、 注射がうまいナァ、 蚊がさしたようなもんだ、 イタクナイ」  それに應えて言った看護婦さんの言葉に、 カルテを書くボクのペンが、 ハタと止まった。
「まだ注射してません。 今、 おばァちゃんの腕に蚊が止まっているのを叩こうか、 どうしようか、 迷ってたところ」…

◎ 「お母さん方の会話」

 外来の待合いロビーで若いお母さんたちが遠足前の子供のべんとう作りの談話に花を咲かせている。
「−−ネェ、 カマボコやチクワも火を通さにゃイケンのかしら…」
「お肉の横に冷凍のコンニャクゼリーを入れるのよ、 冷凍の代りにな るし、 デザートにもなるジャン…」
「私は冷凍食品頼みよ…」
 給食に慣れて子供のべんとうなど作ったことのない若いお母さんたちである。 子供のべんとう作りが初体験とは −−。  交わされる会話も無知丸出しや、 珍案、 迷案の新案特許並みである。 それを持たされる子供たちが気になる。
 これじゃ、 やっぱり給食の方が安全ということか。 結局は、 明日の遠足に子供たちが持たされるのは 「コンビニ弁当」 であろうか。

平成10年8月号


Home