アテネ癌学会余話 そのT
大 森 恵美子


 癌学会の会期中、希望者をつのってデルフイの神殿までバスが用意された。嬉しそうなメンバーを乗せたバスは北西にギリシア山地をめざした。七月の陽射しの下、乾いた赤褐色の大地にはオリーブや無花果がひょろひょろしている。
 デルフイの神殿のある山裾でバスから降りたメンバー二十人あまりはガイドのお姉さんの後について坂をのぼる。日本の団体客と違って髪の色、顔の色、背の高さがひどく違うが、全体としては何か親しみやすい一団となっている。医療仲間ということもあるのだろう。
 小休止でまわりを見まわしたスイス人の若い女性がかけよって来て恥ずかしそうに、
「シャッターを押して下さる?」
とカメラを渡す。そうね、日本はカメラ大国ですもんね。うふん。
 少しすすんでルーマニアの女性が世界の臍石なるものに腰掛けて連れの男性に写真を撮ってもらっているのを見、
「二人のを撮りましょうか。」
と声をかける。どちらも内科医・濃い金髪ブルーアイの彼等は青い空と白い神殿に実に似合った。こういう風景から生まれたみたいだと思ったが、後で彼の方が”我々ルーマニアはローマ人の子孫だ、今ローマには本来のローマ人はいない。“というのを聞いたら恐くなった。

 ガイドは半壊した大理石列柱をさし、ここにあるのがアポロンの神殿で神託をうけたのはあのあたり、とかこの通路に象牙と金で装飾された大理石のゲートがあったとか、この区画されたところに各種の店が出ていましたとか説明してくれる。山腹を利用してつくられた円形劇場(コロシアム)を上から眺めるが、神の座所も上から眺めてしまうことになる。
 面白いが急坂で疲れてしまった。皆どんどん進んで山の上まであがるつもりらしい。山はかなり険しい。夫に、皆からだいぶ遅れたし、しんどいから私は降りて休むわと言って失礼して山を降りる。夫はしぶしぶついて降りた。下まで降りてバスに乗ろうとしたら乗って来たバスがない。
「わあ、どうしよう。」
蒼くなった私に夫は、
「さっきガイドが説明した時、この山のむこうの博物館を見てから帰るといっていたから、車はそっちにまわしたんじゃないか。皆は山の尾根づたいに直接そっちに降りるのだろう。」
げーっ、説明が解っていなかったのだ。舗装道路が山の裾をまわっているのをしやにむに歩き始める。まあ陽は照るし、不安でドキドキして山陰にそれらしき建物が見えたときはほっとした。近づくとバスが止めてあり、床には運転手がごろ寝中、
「もしかして、学会のバスでは?」
「ちがう。」
夫は、向こうのバスまで行って聞くからあなたはここにいなさいと言う。申し訳ないがホッとする。一息ついていると、後から中年の男性が追いついて来て、
「このバスか。」
と聞き乍らもう足をかけて乗り込もうとする。運転手は床の上でムツゴロウ状態となり、目をぱちくり。私はあわてて彼の肩をひっぱって、
「ちがう、ちがう。」
「癌学会のメンバーだろう?」
「そうですが。」
「君等を見て私も山から降りたんだ。妻もあとから来ている。」
ありゃーあ。
「夫があっちのバスを確かめに行きました。このバスは違います。」
すぐに奥さんが追いついて来た。やれやれ四人になっちゃった。何だか責任があるようなないような。まもなく夫が折り返して来て、
「あっちのバスだった。」
と言い、彼に、
「確かめに行ってみる?」
と聞く。彼は、
「いや、それならいい、やれやれ良かった、助かった、皆ずっと上って尾根を歩いているんだろう。我々はショートカットでついたぞ、アロウ(弓)だな。」
弓をひいてみせるのがけっこう様になっていて四人で大笑い。イタリアの外科医なのだった。まあ無事で良かった。オチコボレ日伊連合といったところだか、何だか心強くなってきたのがおかしい。
 暑いから博物館の中に入ろうやで入ったら、天井から採光した場処にボロのスフィンクス(稲荷のきつねに羽のはえた様な)のがいた。これが旅人に”朝四昼二夕三なーんだ“と謎をかけ、出来ないと喰っちまうひどいスフィンクスで、エジプトの腹這いのとはちょっと違う。大きなカメラを持った女性が近づくなりフラッシュをたいてバシャッと写真を撮った。ガードマンが飛んで来て、
「こらあ、フラッシュは駄目だ。」
と怒鳴りつける。恐い!だが人が撮る位ならぜひ撮りたい!私はバカチョンを持ってガードマンに近づき、丁寧に会釈して、
「私はこのカメラで撮りたいと思うが、フラッシュが働くかどうか解らない。その点についてあなたはどう思うか。」 と聞く。彼はげんなりした顔で手をふり、
「もういい、撮れ。」
と言った。しめしめ。
 小さな博物館でぐるりとまわってすぐすんで外に出たら、我々を見て背の高い男性と二人の女性の三人グループが、
「うわあ、いたあ。」
と叫ぶ。目をすえてよく見ると、何と我々のバスグループだ。ガイドのお姉さんも見える。背の高い男性がよって来て、
「君達がいないんで、皆心配していたんだよ。途中で待ったりした。先とは驚いた。良かったなあ。」
と言う。悪いことしたなあと思って、ガイドに、
「ごめんね。しんどかったので降りてこっちにまわったの。」
と言ったら、彼女はオヤ指を立てて、
「めっ。」
と言い、幼稚園の先生がいたずらっ児を見つけたようににらんで見せた。私はゴメンゴメンと両手を合わす。彼女は笑いだし、
「でも良かったわあ。」
と心から嬉しそうに言った。このコースはよく人が消えるコースで先日も三人消えたそうだと他の人が教えてくれた。消えるというのは怖い。おちこぼれた四人はここで合流して無事帰路につく。
 バスの中で背の高い男性がカナダの外科医、女性はハンガリアの病理医とオランダの内科医とわかる。オランダの彼女が体をそらせて、
「我々が一ヶ所から来たと思うでしょう。それがここで出来たグループなんよね。」
と自慢するので皆大笑い。又彼女は日本の生活を知りたがり、
「キモノ見たわ。ワンダフルなんだけど高いのよね。あなたいくつ持ってる?」
「わたし五つ。」
「まーあ、五つも持っているのお金持ねえー。」
黒い喪服が夏冬あるんだへへへ…と思ったが、言わなかった。彼女が折角振袖を頭の中に五つ並べたらしかったので。
カナダの外科医が、首をぐるりとまわして、
「そりゃあそうと、この旅の目的は?」
と聞いたのにはびっくりした。彼は招待講演二回やっており、夫は膵臓のDNA診断の講演一回、私は学会出席のみ。
「実をいうと半分は勉強、半分は社会見学。」
「あっそうそう、実はこっちもそうなんだ。」
ハンガリアの女医さんはロングの茶色っぽいワンピースを着ていたが、
「うちの国は今でも大変なの。何もかも不自由でね。」
他の二人が夫をさして、
「この人は病理だから、あなたは世話になったらいい。」
と言う。夫は名刺をさがして彼女に渡した。のぞきこんで眺め皆又好きなことをしゃべり始めた。考え方はやはり違うし、言葉を取り違うし、しゃべっているうち誰かが吹き出す始末である。後方のイタリア人ドクターも話に加わりたそうに腰をうかせたが、迷ったようで結局入ってはこなかった。ガイドも皆の顔立ちを目で確かめて首をひねり、まあ一応英語でやりますからと決めた位で、フランス語などでやられたら大変だったに違いない。
 せまいバスの中では楽しむのも英語でいいんだと、ヨーロッパ以外が強気でしゃべりちらし、ギリシア附近の人達には何だか申し訳なくなってくる学会裏なのだった。

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