小学生にコンピューター教育が今本当に必要なのか。
コンピューターでは絵を描けたり、 文章を書けたり、 ソフトで勉強もできる、 インターネットでは遠くの人とメールでやりとりができたり、 また、 多くの情報を図書館に行かなくても得ることができる、 とコンピューター教育賛成派は言うだろう。 しかし、 ちょっと待ってほしい。 これだけ多くの人がコンピューターに夢中になり、 その虜になるということはこの無気質の機械は麻薬のような作用を持っていると思う。
かくいう私も残念ながら1日2時間位をこの機械に奪われている。
コンピューターをいったん覚えたら子どもの心と体と時間はコンピューターに奪われる。 テレビゲームと同様だ。 家に帰るとすぐにコンピューターの前に座り込み、 ひたすら時間を過ごすようになるだろう。 話し相手はコンピューター。 そして本が読まれなくなる。 夢を見、 思考力や想像力を養ってくれる本が遠ざけられる。 コンピューターのあれほど薄っぺらな映像ですら本の方に分が悪い。インターネット上の本があるが、 本気で読む人がいるの?コンピューターで絵が描けるって・・・クレヨンや絵の具で描いた方がよっぽどいい。 勉強のソフトを子どもが自分からすると思ったら大間違いだ。 また、 インターネットの情報は玉石混淆で、 真実でない物も多い。 それらを見分けるには膨大な時間とかなりのテクニックが必要だ。 また大きな問題になっていることだが子どもにとって良くないものがかなりある。
コンピューターの中の世界は本物のようで本物でない。 偽物も多い。 単なるイメージである。 知的好奇心は満足させることができても物の本質にはほど遠い。 どんなに立体的に見せても平面の世界である。 臭いもない。 特に触ることができない。 触覚は赤ちゃんのスキンシップと同様に物の本質を理解するのに非常に大切なものだ。
私は今の子供たちの遊びが電子的なものに代えられてしまっていることに危惧を感じている。 私の診察室には子どもたちの多くが流行中の携帯ゲームを持って入ってくる。 高価だし、 眼も悪くなる。 それに美しくない。 「たまごっち」 の絵のあまりに稚拙なことに私は自分の目を疑った。 美しさのかけらもないこんなおもちゃがどんどん売れることに、 私は日本人の美的感覚が小さい頃から壊され続けているのではないかと憂うばかりだ。 親は子どもにせがまれて買い与えるのだろうが、 おもちゃにこだわらない親は子どもの個性を伸ばすことはできない。 「殺す」 「消す」 などの言葉は問題になって久しい。 ゲームの中で 「死」 がおもちゃにされ、 命は置き去りだ。 命の大切さなど言うべくもない。 携帯ゲームはどんどん作られ、 棄てられる。 この業界は本当に節操がなく、 哲学がない。 あの 「たまごっち」 のバンダイは赤字を出したという。 だいたい、 子ども相手に大儲けしようなどと考えるのは信義に悖る。 言うまでもないが、 教育しようとしているコンピューターの中にもたくさんのゲームが待ちかまえている。
子どもの教育にヴィジョンが欠けていると思う。 今必要な教育とは精神的な潤いを与え、 社会に責任を持ち、 自立した人間を育てる教育であるべきなのに、 無気質なより人間性の失われた世界へと子どもを導いているようだ。
クリフォード・スティールはその著書 「インターネットは空っぽの洞窟」 の中で次のように語っている。 一番大切なことは、 ネットワーク接続されたコンピューター間の相互理解ではなくて、 人と人の相互理解である。 コンピューターと過ごす時間の方が両親との時間よりも長いような子どもは、 家族の接触という、 成長期の子どもにとってもっとも大切なものを知らずに育ってしまうと。 また、 バークレーのティーンエイジャーは3歳の時からコンピューターを使っていてインターネットではたいへん饒舌なのに実生活では、 普通の会話が全くできないとも。
このように社会生活の中で人間の基本的なつき合いができない子どもが増えてくるのは必至である。 現にコンピューター以外の、 人付き合いなどの煩わしいことはいやだという若者が増えているではないか。 ところで、 先日、 文部省は今の児童の運動能力が10年前に比べて20%近く落ちていると発表した。 今のままなら悪くなる一方であろう。
所詮、 キーボードとマウスだけで解決できるものなどたかが知れている。 実物に触って、 壊したり、 また作り直すということが大切だと思う。 子どもの時に自分の手でものを作ることをしていなければ創造したり工夫したりすることを学ぶことはできない。
コンピューターに向かう時間があれば、 その時間をいろいろな生き物達とふれあって、 生と死を感じたり、 クレヨンで絵を描いたり、 水遊びや泥遊びをしたり、 木登りをしたり、走ったり、 転んだり。 自分の手でものを作ったり。 においをかいだり。 いろいろな遊びを通じてたくさんのものを経験してほしい。 そしてそれに伴う喜びや苦しみ、 悲しみを現実の世界の中で体験してほしい。そうしなければいろいろなものに対する感性そのものを失いかねない。
コンピューターの知識はこれから必要となることは間違いない。 技術を習得することに異論はない。 しかし、 小学生の間くらいしっかり自然とつき合って、 自分の体全体を使って物事を感じ取ってほしい。
小学生にはコンピューターよりも学ぶべき大切なものが他にたくさんあると思うのだ。