「嗚呼 阪神タイガース」

山崎泰弘

 梅雨が明け、真夏の太陽が照りつけるこの頃ともなれば、大人のタイガースファンは周囲の人間にイライラ、ガックリを気取られないように、今年のペナントレースは終わった、と自分にしっかり言い聞かせて、心静かに暮らすのが常識である。
 しかし、今年は違う。何とも言えない期待感がある。大体スポーツ新聞を開く音が違う。パリッ!まあ、私の中の変化はこんなもんであるが、関西の経済界はどうがどうでも神様、仏様、野村様らしい。今や社会現象化している。ならば、ついでに日本の最重要課題である景気回復予想も堺屋太一経済企画庁長官が短感を発表するより、ノムさんに立ててもらって、1999年ノムトラダムスの大予言!を発表したらどうだろう。

 思い起こせば、阪神タイガースが優勝したのは、1985年(昭和60年)の14年前である。この年、私は無二無三の趣味とは言わない(言えない)が、今や世界の音楽界の頂点に立った小沢征爾氏(彼は、2002年よりウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任することが決定。これは西洋音楽が日本に上陸して100有余年始まって以来の快挙である。2002年オペラシーズンの開幕には、ウィーンの街は日本人客でごった返し歌劇場の前は甲子園球場まえと同じくダフ屋が横行すると予想しておこう。)の指揮による古今東西、難曲中の難曲とされる、バッハ作曲のロ短調ミサ曲の演奏会に合唱メンバーとして参加。練習が厳しく、夏の盆休み返上で、大学卒業以来20年ぶりに冷房もない所で合宿中タイガースの試合を一喜一憂しながらラジオで聞いた思い出が懐かしい。そしてその秋、優勝と演奏会成功の美酒に酔ったものである。
そうバブル経済開幕の頃であろう。

 その後、心静かに暮らす大人のタイガースファンに徹して7年の年月が流れ、1992年(平成4年)再び優勝のチャンスが巡ってきた。10月初旬のある日、残り5試合で単独首位に立った。あと3勝で優勝だった。それが1ゲーム差で2位に付けていたヤクルトとの直接対決で翌日並ばれ、そして逆転。鴫呼、、、、、優勝を信じ裏切られた敵の大将は言わずとしれた野村克也監督。

 いつまでも続くと思われた右肩上がりのバブル経済に黄色が点滅しはじめていた。
 さて、またまた時は流れ、昨日の敵は今日の友。縁は異なもの味なもの。巡り巡って今は阪神野村。私の好きな港神戸の小粋な縦縞イメージとはちょっと違うのだが、あの体型、あのセンス、あのボヤキ、大阪にピックリはまっている。そして暗雲立ち去らぬ日本経済の空の下。期待はこれからも高まる一方であろう。

 いくら何でも、闇夜じゃ咲くまい月見草、、、と思いつつ、何がともあれ、明日の新聞もパリッと明けたいのである。
 頑張れ、阪神タイガース!!
 この文が医師会報に載る頃のタイガースが心配である。
 もう一度 頑張れ、頑張れ、タイガース!!

(1999.7)

Home